引き出しの芽を育てると
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7月に入って、すごく楽しいけれどいろいろが繁忙期に入ってきて、いまいま3つの納期に追いかけられておりまして、子供たちを寝かしつけ深夜に起きて仕事をしている、フリをしてW杯の決勝を見ています。
土曜日お昼のライブログはまた書きます。
引き出しってね
自分で歌を作っているのですが、たいていの場合は歌詞やテーマがまず降ってきて、書き留めておいて、音のアイディアが降ってきたら一気に曲になる、というパターンが多くて、「音のアイディア」「刻み方のテーマ」「ピアノのアレンジ」それぞれ重なり合っているキーワードですが、そういった所にもっと厚みが欲しいな、立体的な引き出しが欲しいな、と日々感じています。
私は4歳~17歳までクラシックピアノを習っていたので、ピアノを弾く手の動かし方なのか、展開の発想なのか、そういったところがたぶんクラシック出身感がそこはかとなくあると思います。ジャズの人たちはポンポンジャズアレンジが出てくるし、ブルースだなぁという人もいる、クラシックとポップ切れ味良く融合してる羨ましいジャンルもある、本当に色々です。
それでも昔から、いろんな歌をつくっていきたくて、昭和歌謡ぽく「20日のかなしばり」とか、JAZZY歌ってみたい!と「月夜にあなたと」とか、梅酒ロック!と「飴色」とか、試みてきています。
先日のライブログで登場した立花綾香への感想が「私の知らない世界」でした。私は彼女が見てきた世界を、たぶん全然見たことがない。私にとっては共感というより、新しいものだからワクワクする、といった表現でした。
自分という存在が認知した事柄だけが心と頭と体のどこかに残っていくのです。自分という存在が認知して心と頭と体のどこかに残った事柄が、引き出しの芽なのです。
引き出しの芽をチャレンジで育てる
引き出しの芽、が芽生えたあとに訪れるのがチャレンジ。これにはスタイルが人の数だけある。人の数だけあるにせよ、失敗が怖くないか、絶対できる安心が欲しいか、の2つには分けられます。
私は怖いものがほとんどありません(私を知る人はあまり驚かないでしょう)。さすがに今は一人で子供たち二人を、と思うと動き出せないことも出てきましたが、そうは言ってもチャレンジへのハードルは低いので、またやればいいよ、とか私が至らなかっただけだ、次なら大丈夫、と言って何度でもチャレンジします。ダサいだろうなーとか、考えたら身震いしそうなので考えません。でも数年に1度どん底でぐでんと横たわるまでそれを感じて身近な友達に救ってもらっています。笑
一方わが娘は「絶対できる」と思うまで全然やりません。じーーーっと見ています。じーーーーーっと見て、しばらくすると少しやってみて、いけるなと思うと素晴らしいクオリティを維持して発揮してゆく。比較的波があって失敗も多い私とは違う歩み方で、感心しています。笑
どの道も大成功です、自分の引き出しになりゃいいのだから。ベストな方法は人それぞれでしょう。
自分の引き出しにするために
何って私はいまW杯の決勝を(本当に仕事しなきゃいけないのに)見ていて、1秒なんて数える間もないような短い瞬間にそんなパスある?!みたいな選択を次々して成功させてゆくプレーに感動して、このブログを思い立って書いているのです。引き出しの芽がチャレンジの末自分のものになっているさまがあまりにも美しい。
認知の質が上がれば引き出しの芽が増えて、あとは自分らしくチャレンジをしてゆけば、自分だけの引き出しになってゆく。
自分らしさは、生まれてから今日この瞬間まで積み重ねてきた自分の体験と感情、そしてそれらを自分で認知し、チャレンジして自分の引き出しにできていること。就活の自己分析みたいだな。
フランスおめでとう
そしてフランスの優勝を今見届けました!おめでとう!クロアチアも最後まで勝負して、サポーターもすごく温かいエールを最後の瞬間まで送っていて心が揺さぶられた。この会場に居れたらどれだけの高揚感だろう。どんな気持ちで今選手とサポーターは向かい合って拍手をしあっているんだろう。いいなぁーその気持ち感じたいなー!
面白いW杯でした!よし、寝よう!(全然仕事終わらなかった…)