ねばならないということはひとつもない
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ふたつに分かれてきた世界が、曖昧な継ぎ目の誕生でどんどんひとつになって、全く別の場所からも同じことを語っている、ということが増えてきてるんじゃないかなぁと、ここ数年思っています。
今日のお話は3つ。
・ふたつの世界とまあるい世界
・自動思考と本当に欲しいもの
・やさしくあるということ
言うてそんな長くないです。
ふたつの世界とまあるい世界
こんなにやさしい世界になってきたのに、時代の先を行き過ぎない人が1番評価されて、時代の先を行く人は「えーほんとー?」みたいな感じで旧式の評価軸でもある程度評価される結果が出ない限り異端児扱いを受け続けます。
友人がこんなお話を教えてくれました。
メキシコのビーチで、ずーっと太陽の下で寝ているひとりのおじさんが居たそう。朝から夕暮れまでずーっと、何をやることもなくのんびりそこで過ごしている。バカンスに訪れていたアメリカの超有名大の学生が、そのおじさんに「そこで何をやってるんですか?」と聞いた。「のんびりしてるんだ」とおじさん。「毎日そんな風に過ごしてつまらなくないのか?」と聞くと、「他に何かすることあるか?」と答えた。すると学生が、「僕だったらまずそこでココナッツジュースを売るジューススタンドでも始めて資金を作って、そこに土地を買ってゲストハウスやホテルを作るね。こんなに素敵なビーチだしアメリカでも有名だし、カンクンより近い(ティファナという1番北西の州)からお客さんは絶えないと思うんだ」「そうか。君はそれを死ぬまでやるのか?」「いや、事業が軌道に乗ってある程度お金を稼いだら、僕は引退して、ビーチでのんびり暮らすんだ」「それ今の俺がやってることとじゃないか」
このイケイケな学生が本当に欲しかったのは何だったのでしょうね。
このおじさん自身には何か困りごとがあったのでしょうかね。
ふたつに分かれていた世界は、おおよそひとつの大きな物差しを当てて、例えば「頭が良い方が成功する、成功するとお金持ちになる」という公式で人生の成功が決まっていたのでしょう。
その継ぎ目がどんどん曖昧になっているというのは、例えば物差しが無数にあることを受け入れる人が増えて、全部が縦に並ぶはずもなく(背が高い人が絶対にお金持ちってこともないし)、だから全体で見たらあらゆることに上も下もなく、まあるいアリウムのお花のように咲いていて、頭が良くて成功したお金持ちが、全然違う場所にある心身の自由とか、考えないでいい時間とか、大都会に住んで通って働かない生活とか、そういうのが欲しくなったりしてきている。
自動思考と本当に欲しいもの
自動思考のパワーはものすごいもので、経験の中から、特に感情を伴った体験から蓄積された潜在意識が、いつのまにか考え方の癖を自分の無意識にまとわりつかせて、その考えが誰のものだったか、何のためだったか、すっかりわからなくなったり、すぐに思い出せなくなったりします。電車の優先席がその例です。誰かたちが考え抜いた結論の1つが結果であり答えとして電車の中のあの座席に鎮座しています。でも、いかにもこれから山登りに行く姿でおにぎりを頬張っているご老人と、明らかにお腹が痛そうに青ざめた顔をしている小学生がもし目の前にいたら、私は小学生に優先席に座ってほしいと思うんですよね。誰かたちが考えて出してくれたルールのおかげで考えなくて済むようになった結果、やさしさと幸せと動機が要らなくなって、お腹の痛そうな小学生や若い妊婦さんが電車の中で全然座れない、ということが今日もどこかで起こっています。
本当に欲しいものが何か、ということをミスリード(誤って把握)していると、本来憧れているはずの姿を非難したりするものです。感情と思考をそれぞれうまく活用できていないと、そういう表現になってしまうことがままあります。
そういうことを言っちゃう時、本当は悲しみや焦りといった感情を感じていて、自分を擁護するために正当化している場合もあるし、
そういうことを言われて「嫉妬してるんだよ」と捉える対応がよくあると思うんですが、その解釈は自分に向けられた噛みつきから流血を防ぐくらいのことはできるけど、その人に刺さっているトゲを抜いてお互いに心地よく関係を続けることはできない。
やさしくあるということ
「であるべき」「でなければならない」という剣を、私は人にも自分にも向けたくありません。「でありたい」には素直でありたい。
それは、大きな社会の物差しの中でもある程度健闘してきたけれど、それで手に入ったいろんなことが別に「私の欲しかったもの」ではなかったという経験をしてきた私の、いろんな紆余曲折の中で得た、やさしくて豊かで本質的な人の生き方だと思っています。共感する人も本当は多いと思っています。
正解は自分の中にしかない。
せっかく世界にひとりしかいない自分を、尊んで、楽しんで、生かして、生きれる人がひとりでも増えたらと思うのです。
これは、16歳の頃から言っていることと本質はほぼ同じです。
私の人生が大失敗に見える方も、楽しそうに見える方も、いると思うんですが、私は私の人生を愛してやまないから、全部大成功なのです。
子供たちもいるしもう少し収入増やしたいなとは思うけど。笑
もっと、人にも自分にもやさしい世界をつくりたいなぁと、今日も思いながら、
自分の命を自分のワクワクと人の喜びのために使います。